先生は、お酒が入っているせいか、
懐かしい面々と久しぶりにあったせいか、
先生はいつもより高揚されている感じだ。
先生は、私たちに近くに来いと言われ、
それぞれの顔を見渡されてから、
声のトーンを一つ下げてから話されました、
「ええか、お前らに大事なことを教えるぞ。
良知こそが、大自然の摂理そのものなんや。
大宇宙の法則と言い換えても良え。
大自然を見渡したとき、動植物をはじめ、
すべてがある一定の法則より動いている。
たとえば、そこらにいる野良犬ひとつとっても、
全ての行動が、種の繁栄、ほかの動植物と共存共栄に、
100%適っている。
1ミリたりともそこから外れた行動はない。
植物にしてもそうや、
スイカの種を冬の暖かい日に植えても芽は出んやろ?
適切な時期に芽を出し、そして実をつける。
桜だって、咲く時期を間違えることはない。
動植物は、自分の体内に、
大自然の摂理を司る機能(メカニズム)をもってる。
人間にだけ、
その機能を備えてないと思うか?
そんなことはあり得ないな。
人間にも当然ある。
ないと考えることに無理があるし、
あると考える方が合理的やな」
陽明先生は、水をゴクリと飲んだ。
細身の先生の大きな喉仏が大きく上下する。
袖で口元を拭い、こちらを見上げるように、
「人間の中にある大自然の摂理、
それこそが良知や。
良知に従っていけば、
全てうまくいく。
私心に惑われず、良知にちゃんと、
従うことさえ、できれば、、、、、、
もうパーフェクトなんや。
ほか何一つ、不足はないし、
やるべきことはないんや。
これに気がついたは、俺が38歳のときや、
龍城っていう片田舎に左遷され、
それこそノイローゼになりそうやった。
いや、なってたかも知れん。
悶々としながら毎晩寝床に入ったら、
もう死んだ方が良いとなんども思ったわ。
それがある晩、突如、わかったんや。
閃いたというか、おりてきたというか、
とにかくわかったんや。
大宇宙の法則に気がついたんや、
その大宇宙の法則自体が、自分の中にある。
学ばんでも、ちゃんと元々から、
あるんやって。
突如わかったんや。
それがわかった瞬間、
それはもう、いてもたってもいられなくなり、
握りこぶしをつくって、思わすその場で、
ジャンプしとったわ。
後にも先にもそれ以上の喜びはない。
儒教、仏教の聖人たちは、みな、同じような、
体験をしているやそうや。
俺の弟子の中にも何人もおるな。
後から知ったんやが、それを良心の覚醒体験とか、
大悟するとかいうんやそうや」
「このことに気がついたんが38歳や。
これでもう完璧やと思ったんやけど。
実は問屋はそう簡単にはおろしてくれんのや。
俺は悟ったぞって、思うんやけど、
つい忘れてしまうんや。
だから、悟ってからもずいぶん迷ったし。
悩んだし、苦しんだ。
でもあれから10年ちょっとが経って、
確信した。
良知に従う、忠実に生きる。
その心の声のまま、それを素直に行動に移す
〈DO the 良知!〉って感じや。
東洋っぽく言えば、致良知やな」