(人として)、
何が正しくて、間違っているのか、
教えられずとも、
ちゃんと知っている。
これを「良知」という。
いわゆる良知っていうのは、
人であれば、誰にでも、
必ず備わっている機能なんや。
この地球に存在するの生き物の、
行動全て、その行動の目的は、
種の保存・繁栄のためものや。
水を飲むのも、獲物を狙うのも、
メスを求めて他の雄と喧嘩するのも、
つまるところ、種の保存・繁栄のためや。
サバンナにおいて、
水牛の群れが、ライオンに襲われたとき、
大人の水牛は、子供の水牛のために、
我が身を呈してでも、子供を守ろうとする。
(動画「ライオンから子牛をまもる水牛」)
https://youtu.be/Sz71n-l5gD0
哺乳類は群れでないと、
生き延びれないから、自分の命と同様に、
自分以外の存在を大切にしようという機能が、
もとから備わっている。
これはまさに大自然の摂理や。
この大自然の摂理を、
大宇宙の法則って言う人もおる。
儒学では、「天理」という。
万人の心の中にある「良知」は、
自分の中に機能する大自然の摂理、
宇宙の法則そのものやな。
この良知のことを、
小宇宙のはたらきと言う人もおるし、
仏教では、「仏性」、
神道では、「神の分け御霊」っていう。
人の心に良知があるのは、
聖人であろうが、
凡人であろうが変わりわない。
まぁ当たり前のことやな。
「良」っていう字には、
「Good」っていう意味もあるけど、
「本来の」っていう意味がある。
良知の「良」は、
「本来の」って意味やな。
言い換えたら、教えられずとも、
もともと備わっている「知」という意味やな。
この良知に従っていえば、
間違いはない。
ただ、それがなかなか難しい。
わかっちゃいるけれど、なかなかできない。
それをどうやったらうまくいくか、
その方法が具体的に示されているのが、
儒学やな。
仏教もそれは同じやな。
一人の生徒が先生に尋ねた、
「その良知に従っていければ、
どうなるんですか?」
いい質問やな、
それはもう、
すごいことになるんや、、、、
(第一五話 後半に続く)