「中」―「中庸」・「未発の中」・って何だ①

陽明学をはじめとした中国哲学を

学んでいくと必ず出会う概念がある。

 

それが「中」という概念だ。

 

四書の一つ中庸の、

「中」だ。

 

また伝習録を読み進めていくうちに出てくる、

「未発の中」だ。

 

 

まず、「中」について考えてみる。

 

儒学では、

「中」の状態であることが、

理想であり、善であり、

目指すべきところだとされる。

 

一方、「中でない状態」が悪であり、

是正すべき状態だとされる。

 

 

では、「中」ではない状態とは何か?

 

「過ぎたる状態」または、

「及ばない状態(足りない)」とされる。

 

儒学では、

良いこと、悪いことがあるのでなく、

「やり過ぎ」か「及ばない」状態だ、

問題だと考える。

 

そして、陽明はこんなことを言う、

 

「及ばない状態」より、

「過ぎたる状態」が問題だよ。

 

 

ちょっと例を出して考えてみる。

お腹が減ったとする、

 

そして、

何かを食べようとすることに、

問題ではない。

 

生きるために必要な行動だし、

自らの健康な状態を維持することは、

家族のためでもあるし、親孝行でもある。

 

でも、食事をとり過ぎてしまうこと、

これは、問題だ。

 

また、自らの食欲を満たすために、

他人の食物を奪い取ろうとすることも、

行き過ぎた欲求だと言えるだろう。

 

 

もう一つ例をだしてみる。

 

男性が女性を欲する気持ちは、

これ自体は悪いことではない。

 

その気持ちがあるから、

恋愛をし、子供も生まれ、

そして、素晴らしい家庭ができる。

 

だが、この欲求が行き過ぎれば、

問題が出てくる。

 

行き過ぎた欲求は、家庭を壊すだろうし、

多く人を悲しませる。

 

逆に、

この欲求が足りない状態であれば、

婚期が遅れることもあるかもしれないし、

好ましいことではないかもしれない。

  



これが陽明の言うところ、

「及ばない状態」より、

「過ぎたる状態」が問題というところだろう。

 

 

 

要は、中国哲学において、

その欲求自体に善悪はないと考える。

 

その欲求の「過ぎたる状態」、

「及ばざる状態」が問題なのだ。

 

しかし、過不足があるとき、

人はそれを認識できる能力がある。

 

それが「良知」だと、陽明は言う。

 

 

下世話に、言い換えてみる、

 

お腹が空いた、そこで、

ご飯を食べるのは悪いことでない、



だが、お腹がいっぱいなったが、

 

最後に、

あのクリームたっぷりのケーキが食べたい。

 

このとき、

ケーキを食べることは、「食べ過ぎだ」、

「良くない」とちゃんと知ってるだろ?

 

それが「良知」だ。

 

 

既婚者が道を歩いていて、

「あの娘、可愛いなぁ」と思うことは、

悪いことではない。

 

でも、実際に声をかけ、何かしようとすることは、

既婚者には過ぎたることで、悪いことだと、

ちゃんと知っているだろ?

 

それが「良知」だというのだ。

 

その良知に従うことが大切なのだと言うのだ。

 

 

 

西洋の宗教によっては、

既婚男性が、「あの娘かわいいなぁ」と、

思うことも悪であり、

 

宗教によっては

思うことは、実際に浮気することと同じ悪だ、

そう考えられることもある。

 

 ここに、

儒学·陽明学の大きな特徴がある。

 



この「中」と言う考え方は、

実に私たち日本人に、

馴染みのある考え方だとわかる。

 

例えば、

「過ぎたるは及ばざるが如し」という、

ことわざは日本人にがとても馴染みがある。 

これは、「論語」の一節である。

 

 

竜安寺の石庭にある「つくばい」に、

刻まれた文字、

 

 「我唯足るを知る」

 

まさにこの哲学を表している。

行き過ぎた欲求こそが問題なのだと、

私たちを戒める。

 

 

さらには、

江戸時代は、医者の多くは儒学を学び、

「儒医」と呼ばれた。

 

その儒医の代表が、貝原益軒であり、

彼の記した養生訓は、

陽明学的な世界観で書かれている。

 

その儒医の考え方が良く現れた言葉が、

「腹八分目」「腹八分目医者いらず」だ。

 

 

 

「中」という考え方は、

儒学思想の中でも中心的な考えで、

非常に重要な考え方だ。

 

だからかつての日本人も、

とても、大切にした考えかただろう。

 

この考えは、

私たちの中に消えてはいないが、

薄れてきている価値観で、

それが、種々の問題を起こしているようにも、

思える。

 

長くなった、


もう少し、推し進めた考えに、

「未発の中」というものがある。

 

この境地を手に入れると、

人は超人的な能力を発揮し始めたりする。

 

それは、また別のページに書こうと思う。